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シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 D.664(Schubert:Piano Sonata in A major, D.664)


(P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音(Wilhelm Kempff:Recorded on January, 1967)をダウンロード

  1. Schubert:Piano Sonata No.13 in A major, D.664 (Op.posth.120) [1.Allegro Moderato]
  2. Schubert:Piano Sonata No.13 in A major, D.664 (Op.posth.120) [2.Andante]
  3. Schubert:Piano Sonata No.13 in A major, D.664 (Op.posth.120) [3.Allegro]

中期のピアノ・ソナタの取りあえずの締めくくり



この作品の成立年代に関してはいろいろ諸説があるようですが、かつて言われていた1825年ではなくて、1819年の7月頃のと言うのがほぼ間違いがないようです。
こういう成立年代なんかどうでもいいじゃないかという声も聞こえて来そうなのですが、実は1819年と1825年では大違いなのです。

1825年だとするとD.840やD.845、D.850等のソナタと同じ年に作曲されたことになります。それは、ベートーベンという巨大な引力圏からの離脱に成功しつつある時期の作品だと言うことを意味します。
それに対して、1819年の作品だとすると、その巨大な重力源であるベートーベンの影響から離脱しようとして苦闘を続けていた時期と言うことになります。そして、その苦闘はその時期に多くの未完のソナタを残したことによくあらわれています。そして、そう言う未完のソナタの中で、何とかこの作品だけが「作品」として実ったと言うことを意味します。
しかし、聞いてみれば3楽章構成を持ちながらも各楽想は非常に簡潔であり、遺作のイ長調ソナタ(D.959)に対して「小さなイ長調」と呼ばれる事があるのはかなり的を射たニックネームと言わざるを得ません。つまりは、この時期のシューベルトはベートーベンという強力な引力圏を振り切るには未だ力不足だったのです。

ただし、それであっても結果としては実りの少なかった彼の中期のピアノ・ソナタ作品の中で、取りあえずの締めくくりという意味を持っていることは認めてあげないといけないでしょう。
おそらくは、この締めくくりによって己の力不足を知り、その後数年の沈黙の後にいよいよ後期の傑作ソナタ軍の世界に踏み込んでいくことになるのです。

第1楽章(Allegro moderato)
シューベルトらしい実に美しい旋律の第1主題で始まります。そして、その後無駄な計画などはなしに第2主題へと移っていきます。
展開部も短く複雑な動機操作なども行っていません。そして、最後は第1主題を回想する短いコーダで曲を閉じます。

第2楽章(Andante)
この楽章も全体で75小節と短く、単純な三部形式による緩徐楽章と言えます。
しかし、その旋律は美しく、その穏やかな佇まいの中にシューベルトらしい孤独な魂の吐露が感じ取れます。

第3楽章(Allegr)

あっさりとしていても爽やかさを感じる旋律で始まります。形式的には一応ソナタ形式になるのでしょうが、ロンド的な要素を強く持っています。
特徴的なのは展開部に入ってから16分布の計画的な音型がめまぐるしい転調の中で繰り返されることです。この部分はかなり劇的で、今までのどこか引きずっていた「闇」のようなものを振り切るかのように聞こえます。
そして、最後は第1主題を回想するようなコーダで締めくくられていて、それはシューベルトらしいロンド・ソナタ・フィナーレの典型とも言えます。穿った見方をすれば、それは去りゆく己の青春時代への一つの区切りのようにも聞こえます。


悲しみと告白に寄りそう

ブレンデルはケンプのことを「エオリアン・ハープ」にたとえました。
「エオリアン・ハープ」とは自然に吹く風によって掻き鳴らされるハープのことで、神のはからいでそれが上手く鳴ったときは、誰もかなうものがないほどに見事に鳴り響くと言われています。

つまり、ケンプもまた、神のはからいで上手く鳴り響いたときは、それこそ誰もかなうものがないほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれるピアニストだと言うことなのです。
そして、そう言うケンプの素晴らしさが見事にあらわれているのが1960年代のシューベルトのピアノ・ソナタ全集でしょう。

その全集録音は1965年に始まって1970年に完了しています。
つまりは、残念なことにその全集の少なくない部分がパブリック・ドメインからこぼれ落ちてしまったと言うことです。法改訂によって1967年までにリリースされたものしかパブリック・ドメインにならないので、このサイトで紹介できるのは以下の録音だけです。

  1. シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音

  2. シューベルト:ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D.894「幻想」 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音

  3. シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D.845 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音

  4. シューベルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 D.840 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音

  5. シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 D.664 (P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音


しかし、欲を言えばきりがないのであって、5曲だけでもパブリック・ドメインとしてすくい上げることが出来たことを慶ぶべきでしょう。

言うまでもないことですが、ここには聞いてすぐに分かる華やかさはありません。ケンプはシューベルトのソナタについて常にこのように語っていたようです。
大部分のピアノソナタは、巨大なホールの光輝くライトの下で演奏されるべきものではない。これらのソナタは、とても傷つきやすい魂の告白だからです。もっと正確にいいますと、独白だからです。
静かに囁きかけるため、その音は、大きなホールでは伝わりません。


そうです、ケンプの演奏はシューベルトにかかわらず、常に静けさに満ちているのです。最近、聞いた60年代のモーツァルトやベートーベンの協奏曲であっても、そこには静けさと吹き渡る風のような自然さに満ちています。
ですから、ケンプの晩年の演奏に対してテクニックの衰えなどを指摘しても何の意味もないのです。
彼は常に作品と向き合って、真摯にその悲しみと告白に寄りそうことだけを大切にしています。ですから、聞き手は彼の紡ぎ出す響きの中にそれを聴き取る努力を求めます。それは何気ないテンポの揺らぎであり、意味深い休止符の提示であったりします。そして、それは決して聞く人の耳をすぐにとらえる華やかさとは無縁です。シューベルトは、そのピアニッシモに自分の心の奥底の秘密を託しているのです。
しかし、一度そのケンプの嘆きとシューベルトの嘆きが共鳴していることを聞き取る瞬間があれば、おそらくこの一連のソナタの演奏は人生の宝物となることでしょう。