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メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調, Op.64(Mendelssohn:Violin Concerto in E minor Op.64)


(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 1961年録音(Zino Francescatti:(Con)George Szell The Cleveland Orchestra Recorded on 1961)をダウンロード

  1. Mendelssohn:Violin Concerto in E minor Op.64 [1.Allegro molto appassionato]
  2. Mendelssohn:Violin Concerto in E minor Op.64 [2.Andante]
  3. Mendelssohn:Violin Concerto in E minor Op.64 [3.Allegretto non troppo - Allegro molto vivace]

ロマン派協奏曲の代表選手



メンデルスゾーンが常任指揮者として活躍していたゲバントハウス管弦楽団のコンサートマスターであったフェルディナント・ダヴィットのために作曲された作品です。ダヴィッドはメンデルスゾーンの親しい友人でもあったので、演奏者としての立場から積極的に助言を行い、何と6年という歳月をかけて完成させた作品です。

この二人の共同作業が、今までに例を見ないような、まさにロマン派協奏曲の代表選手とも呼ぶべき名作を生み出す原動力となりました。
この作品は、聞けばすぐに分かるように独奏ヴァイオリンがもてる限りの技巧を披露するにはピッタリの作品となっています。かつてサラサーテがブラームスのコンチェルトの素晴らしさを認めながらも「アダージョでオーボエが全曲で唯一の旋律を聴衆に聴かしているときにヴァイオリンを手にしてぼんやりと立っているほど、私が無趣味だと思うかね?」と語ったのとは対照的です。
通常であれば、オケによる露払いの後に登場する独奏楽器が、ここでは冒頭から登場します。おまけにその登場の仕方が、クラシック音楽ファンでなくとも知っているというあの有名なメロディをひっさげて登場し、その後もほとんど休みなしと言うぐらいに出ずっぱりで独奏ヴァイオリンの魅力をふりまき続けるのですから、ソリストとしては十分に満足できる作品となっています。。

しかし、これだけでは、当時たくさん作られた凡百のヴィルツォーゾ協奏曲と変わるところがありません。
この作品の素晴らしいのは、その様な技巧を十分に誇示しながら、決して内容が空疎な音楽になっていないことです。これぞロマン派と喝采をおくりたくなるような「匂い立つような香り」はその様なヴィルツォーゾ協奏曲からはついぞ聞くことのできないものでした。また、全体の構成も、技巧の限りを尽くす第1楽章、叙情的で甘いメロディが支配する第2楽章、そしてファンファーレによって目覚めたように活発な音楽が展開される第3楽章というように非常に分かりやすくできています。

確かに、ベートーベンやブラームスの作品と比べればいささか見劣りはするかもしれませんが、内容と技巧のバランスを勘案すればもっと高く評価されていい作品だと思います。

色気のある音楽

これってまだアップしていなかったか・・・と言うのが率直な思いでした。セル絡みのスタジオ録音でこれほどの「大物」を見落としていたとは我ながら驚きですが、まあ気づいて良かったです。
さて、この演奏なのですが、フランチェスカッティとセル&クリーブランド管という組み合わせはいかにも相性が悪そうです。だいたいが、セルという人が協奏曲を演奏するときは基本的に主導権をソリストに譲ると言うことはしない人です。そして、クリーブランド管はそんなセルの手兵ですから、指揮者の指示には絶対的に忠実です。

それに対してフランチェスカッティという人はかなり気ままというか、自己主張が強いというか、どんな場合であっても己の基本的なスタンスは崩さない人でした。
そんな二人がガチンコでぶつかるのかと思えばホロヴィッツとのチャイコンがチラリと頭をかすめて期待も高まります。(^^v
しかし、現実はさにあらず、あっさりと肩すかしを食ってしまいました。

しかし、だからといってつまらない演奏なのかと言えばそれもさにあらず、それぞれの持ち味が十分に発揮される中で見事な演奏に仕上がっています。

話は全く変わるのですが、農業の基本は土作りだと聞いた事あります。どれほどの栽培技術をつぎ込んでも、肝心要の土のクオリティが良くなければ植物は十分には育ちません。
それに例えれば、セルは土作りに徹しています。そして、その豊かで安定感のある土壌によってフランチェスカッティという色気に溢れた花が見事に咲いています。

メンデルスゾーンの協奏曲というのは盛りすぎると下品になる恐れがあります。特にソリストにとってその誘惑からはなかなかに逃れがたいものです。ましてや、フランチェスカッティの資質から考えればそれはより一層強い誘惑となることでしょう。

しかし、セルの手綱はそれを見事に押しとどめています。フランチェスカッティはセルとクリーブランド管という素晴らしい土壌によって自由に咲き誇っているかのように見えて、その花は下品になる一歩手前で咲いているのです。
それは、明らかに「色」と「色気」の違いです。

そう言う言えば、本当に「色気」のある俳優というのは少ないものです。音楽家もまた同じでしょうか。
「色」ばかりあふれ出させることを「色気」だと勘違いしている人が多い昨今においては、この絶妙な調和の中で生み出される本当の「色気」を感じとってほしいものです。