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ベートーベン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」


(P)アルフレッド・ブレンデル 1962年6月~7月録音をダウンロード

  1. Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [1. Das Lebewohl (Adagio - Allegro)]
  2. Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [2. Abwesenheit (Andante espressivo)]
  3. Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [3. Das Wiedersehen (Vivacissimamente)]

「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる



ベートーベンのもっとも有力なパトロンであったルドルフ大公が、ナポレオンのオーストリア侵入のためにウィーンを離れなければならなくなり、それを契機として作曲されたソナタだと言われています。
作品とは直接関係のないことではあるのですが、この大公はベートーベンにとってはきわめて重要な人物でしたから、少しばかりふれておきたいと思います。

ルドルフ大公はオーストリア皇帝レオポルト2世の末子として生まれました。
この二人が出会ったのは、1803年から1804年にかけて、ベートーベンからピアノと作曲の授業を受けた時でした。

この時、ルドルフは15歳、ベートーベンは33歳でしたから、この年の開きがベートーベンの狷介さを和らげたのでしょうか、それ以後二人の結びつきは長く続き、ルドルフもベートーベンに対する深い尊敬の念を持ち続けました。

そして、1808年に、ウェストファリアの宮廷がベートーベンを招こうとしたときに、このルドルフが中心となってウィーンの貴族に呼びかけ、ベートーベンに生涯確実な年金を支払うことでウィーンに引き留めました。
この年金は、その後、ナポレオンの侵攻などによって多くの貴族が財政的な危機に陥る中で空手形になっていくのですが、その中で最後まで約束を果たし続けたのがルドルフ大公でした。

ルドルフは生来病弱であり、激務に耐えることはできなかったと伝えられています。
そのためもあってか、政治的な権力の世界からは距離をとる生き方をして、大司教から枢機卿というコースを辿ります。

ですから、彼にとって音楽というものの存在は非常に大きかったのだろうと想像されます。
実際、ルドルフ大公は幾つかの作品も残していて、それは長きにわたって「お殿様の手慰み」程度の凡庸な音楽と思われていたのですが、最近になってその見直しも進んでいるようです。

そして、その様なルドルフの生き方がベートーベンとの関係を長きにわたって良好なものとしたのでしょう。
また、この二人の間では親しく手紙のやり取りもされていて、ベートーベンにとっては年若い存在でありながら、色々な面で頼れるパトロンであったことは間違いないようです。

この作品に対しては、「告別」というタイトルを巡って出版社との間で悶着が起こり、その悶着の中で「この作品は大公にさえ捧げられていません」等と書き送っていたりします。
しかし、このような言い方はベートーベンならではの「短気」の表れでしょう。

戦争自体はすぐに集結して、やがて大公もウィーンに帰還したために、それぞれの楽章に「告別」「不在」「再会」と表題をつけたのはベートーベンです。
ただし、そのような表題を付すべきかどうかずいぶんと悩んだようではあるのですが、それでも最終的にその様な標題をつけてルドルフ大公に献呈しているのですから、この作品とルドルフ大公の関係を否定する方が不自然だと言わなければなりません。

第1楽章冒頭は3つの音で始まるのですが、この響きは明らかにホルンを想定しています。そして、このホルンの響きはこのソナタ全体に鳴り響いています。
この時代におけるホルンの響きには「隔たり」「孤独」そして「記憶」をあらわすというコンセンサスがありました。そして、それに続く数小節の間に何かを追い求めるような切ない感情が見事に吐露されています。
その意味では、この第1楽章は疑いもなくルドルフ大公との「告別」を暗示しています。

また、注意しなければいけないのは、この冒頭の3つの音がこのソナタ全体のモットーになっていることです。
もちろん、こういうシンプルなモットーから巨大な作品を構築するというのが中期のベートーベンが追い求めた手法でしたから、それがここで使われていても何の不思議もありません。

しかし、ベートーベンは、ここではその3つのモットーから巨大な構築物を作るのではなくて、それを縦糸、横糸として一枚の布の中に織り込んでいくようにして音楽を紡いでいるのです。
もちろん、作品としては中期の作品らしく、例えば当時のピアノで使用可能だった最高音から最低音まで駆け抜けるなどという派手な技巧を披露していますが、それでいながらがむしゃらに驀進していく姿は影を潜めています。

また、もう一つの特徴は不協和音を巧みに使用して告別の痛みを暗示したりもしている事です。
そして、最後は左手が低音域に下降するのに対して、右手がその8倍の速さで最高音まで駆け上がります。
ローゼン先生はそれを遠くに消え行こうとしているものを追いかけて自らも消え失せていくかのようだと評しています。

続く第2楽章はハ短調なのですが、この主調がなかなか確立しないという事をピアニストは分析する必要があるようです。
もちろん、多くの聞き手はその様なことは全く気にもしないのですが、その不安定さが間違いなく「不在」に伴う不安感の表出となっていることは聞き取れます。

また、この楽章で注意が必要なのは、ベートーベンが使用していたピアノには存在しない低音のE音が用いられていることです。
この事は、与えられた現実の中にとどまろうとしないパッションの発露であり、ピリオド演奏の原理主義的価値観に対するベートーベンからの異議申し立てのように聞こえます。

そして、この不在の感情はそのまま一気に第3楽章への「再開」の喜びへと爆発していきます。
そして、この最終楽章で注意しなければいけないのは、展開部におけるダイナミクスの処理であるとローゼン先生は指摘しています。

冒頭で喜びを爆発させた以上は、それ以上の喜びを形として表すことは不可能だと考えたかのように、静かなままで展開部は進行します。にもかかわらず、多くのピアニストはそこでクレッシェンドの誘惑から逃れることは難しいと述べています。
この「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる場面かもしれません。

なお、作品番号の「81a」というのは、「告別ソナタ」よりも少し前にボンの出版社が六重奏曲(2本のホルンと弦楽四重奏のための室内楽曲)を「作品81」として出版したので、ベートーベンの作品をすべて出版していたプライトコプフが作品番号の順番を乱さないために「81a」と「81b」と整理したためです。
なんだか「Op,81a」というと、「Op.81」という「第1稿」があるような気になるのですが、そういうわけではありません。

すみずみまで考え抜かれた主情的な演奏

ブレンデルの録音活動は「Philips」と強く結びついています。
何しろ、同じレーベルで2度もベートーベンのピアノ・ソナタの全曲録音を行っているのです。一度目は1970年~1977年にかけて、2度目は1992年~1996年にかけてです。

ピアニストにしてみれば生涯で一度でも全曲録音が出来るならばそれは大いなる勲章ともなるべきものなのですから、同じレーベルで、それも「Philips」のようなメジャー・レーベルで2度も全曲録音を行うというのは破格の扱いです。
しかしなら、ブレンデルと「Philips」の結びつきは最初の録音をはじめた1970年からスタートするのであって、それ以前はアメリカの新興レーベルである「Vox」が彼にとっての活躍の場でした。そして、驚くことに、ブレンデルはこの「Vox」においてもベートーベンのピアノ・ソナタを全曲
録音しているのです。
さらに、協奏曲やバガテル、変奏曲などもほぼ全て取り上げていて、彼は「Vox」において、ベートーベンのピアノ音楽をほぼ全てコンプリートしているのです。
つまりは、ブレンデルは「Vox」にとっても重要な位置を占めるピアニストになっていくのであり、そして、その事を踏み台として「Philips」というメジャー・レーベルとの契約にたどり着くのです。

それにしても、その生涯で3度もベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音したピアニストというのは他にいるのでしょうか。
そう言えば、少し前にフルードリヒ・グルダが1953年から1954年にかけて全曲録音した音源が復刻されて(おそらく、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったのでしょう)、それを勘定に入れればDcca時代のモノラルステレオ混在の録音とAmadeoでのステレオ録音をあわせればグルダも生涯に3度という事になります。

しかしながら、最近復刻された1953年から1954年にかけての録音はウィーンのラジオ局によってスタジオ収録されたにも関わらず、結局は一度も陽の目を見ることはなかったのですから、これを勘定に入れて生涯に3度と言い張るのはいささか無理があるでしょう。
と言うことになれば、ブレンデルの生涯3度というのは異例のことだといえます。
それから、ついでながら言えば、著作権法の改訂によって隣接権の保護期間が50年から70年に延びたことで、グルダのAmadeoでのステレオ録音(1967年録音、1968年リリース)は、まさに目の前でスルリとパブリック・ドメインから身をかわしてしまいました。そして、事情は1970年から開始されたブレンデルの録音も同様であって、それらがパブリック・ドメインの仲間入りすることは大きく遠のいてしまいました。

そうなってみると、1962年から1964年にかけて録音された「Vox」での全集録音はパブリック・ドメインという観点から見ればとても貴重なものだといえます。そして、その録音を今回あらためて聞き直してみて、すみずみまで考え抜いた上で極めて叙情性と主情性の強い演奏であることに気づかされました。
「Vox」時代のブレンデルの演奏は、最初は一刀彫りのような荒々しさが残っていたものが、1962年にピアノ・ソナタを手がける頃には次第に丁寧に作品を彫琢していくように変化していくのが分かります。

誰が言った言葉かは忘れましたが、あるピアニストが、聞き手からは高い人気と評価を得ているがプロのピアニストからの評価が低い人物としてバックハウスとブレンデルの名前を挙げていました。
この「聞き手からは高い人気」という言に異論はないでしょう。バックハウスもブレンデルも大衆的な人気と評価があったが故に、彼ららはそれぞれ2度、3度と全曲録音を行えたのです。しかしながら、後者の「プロのピアニストからの評価が低い」という事については、バックハウスに関しては(とりわけ晩年のステレオ録音)ある程度理解できる部分があるのですが、ブレンデルに関しては何故にそう言う評価が出てくるのかはよく分かりません。

実は、私などは、長きにわたってブレンデルというのはそれほど良く聞くピアニストではありませんでした。確かに、どの作品を聞いても良く考え抜かれた演奏であって、技術的にも申し分なく些細な隙も見いだせないような人だという認識がありました。しかし、それは裏返せば、何をやってもソツはないものの平均的な演奏を突き破る驚きにかけたピアニストと言う印象があったのです。ですから、どうして彼に人気があるのかが不思議だったのですが、現実は3度も全曲録音するほどの聞き手からの後押しがあったのです。
ですから、私などは、さぞや専門家からの評は高いんだろうけれど、その良さが私には分からないんろう、ななどと考えていたものです。

しかし、そう言うブレンデルへの評価はこの「Vox」での全曲録音を聞いてみて私の中で大きく変化しました。
その演奏は最初にも少しふれたように、平均的でソツがないどころか、実に叙情性にあふれた聞き手の心の琴線に触れてくる演奏だったのです。おそらく、普通の人はベートーベンのピアノ・ソナタを同一のピアニストで全曲聴くなどと言うことは殆どやらないと思います。しかし、今回彼の演奏でじっくりと聞いてみれば、どうやら私が勝手に思いこんでいた姿とは随分と異なることに気づかされました。

何故ならば、70年代のステレオ録音から何枚かを聞き直してみたのですが、それもまた十分すぎるほどに叙情性の強いベートーベンになっていることに気づかされたのです。しかし、あまりにもすみずみにまで配慮が行き届き、その配慮されたものが極めて高い完成度で演奏されているが故に、その完成度の方に耳が奪われて平均的でソツのない演奏と聞き間違えてしまったのです。

この「Vox」での演奏を聞いていると。「悲愴」とか「月光」とか「アパショナータ」というようなタイトル付きの有名作品よりも、どちらかと言えば地味なナンバーだけの作品の方が魅力的に聞こえます。いや、それは言い方が逆かも知れません。有名な作品の良さはすでによく知っているので「今さら」という感じなのですが、あまり聞く機会の少ない地味なソナタに関しては「これってこんなにも美しい場面が散りばめられているんだ」という事に気づかせてくれるのです。

確かに、こういうアプローチだと、「ワルトシュタイン」とか「アパショナータ」のように、デュナーミクの拡大によって今までは考えられなかったような「巨大さ」を追求したような作品では物足りなさがあるかもしれません。後期の30番から32番の3作品に関しても、とりわけ30番と31番に関してはいささか硬直したような雰囲気があって、いささか物足りなさを感じたことは正直に申し述べておかなければ行けません。
しかし、全体的に見れば、若きブレンデルのあふれるようなロマンティシズムが高い完成度で表白されているこの全集の価値は小さくはないかと思います。ただ、いささか残念なのは、現時点では初期ソナタの音源が私の手もとにないので、全集としてコンプリート出来ないことです。すでにこの録音は廃盤となっているようなので、メットか中古レコード店をまわるしかないようです。

それから、余談ながら、ブレンデルという人は80年代から90年代にかけては、疑いもなく時代を代表するピニストだったのですが、その名前を聞かなくなってから随分と時が経ちます。ですから、すでに鬼籍には入られたのかと思っておられる方も多いかと思うのですが、実は今(2019年)も存命です。
音楽家というのは、とりわけ指揮者とピアニストは「死ぬまで現役」という人が多いのですが、ブレンデルは珍しくも77歳で現役を引退したのです。2008年12月18日のウィーン・フィルとの公演がラスト・コンサートだったそうです。

そして、その後は教育活動に力を入れることになり、今も元気にレクチャーを行っているようです。
ブレンデルのピアノの特徴を一言で言えば、徹底的に考え抜かれた解釈によって繊細極まる造形を行うことにあります。それ故に、その様な完璧性が保持できなくなった時に、潔く撤退するだけの鋭い自己批判力があったと言うことなのでしょう。
私はこの潔さからしても、「プロのピアニストからの評価が低い」という言にはどうしても賛同できないのです。

引退した後のブレンデルのレクチャーを聴いた人の話によると、90歳を目前にした時でもピアノの腕前はそれほど衰えていないように感じたそうです。
しかしながら、それもまた気楽な聞き手ゆえに言える言葉なのでしょう。