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ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」


(P)グレン・グールド レオポルド・ストコフスキー指揮 アメリカ交響楽団1966年3月1日&4日録音をダウンロード

  1. Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [1.Allegro]
  2. Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [2.Adagio un poco mosso]
  3. Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [3.Rondo. Allegro]

演奏者の即興によるカデンツァは不必要



ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。

それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;

いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。

しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。

ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。

自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。

しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。

そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。

ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。

グールドという人は「コンチェルト」というジャンルには不向きだったようです

グールドという人は基本的には「協奏曲」というスタイルに向かなかった人かも知れません。
それは、「協奏曲」がその字義の通りに「協奏」、つまりはソリストと指揮者が力を合わせて一つの音楽を作っていくものと解釈するならば、それはもうグールドには全く持って不向きな世界だったからです。自分のチャレンジを相手の都合に合わせて手加減をするなどと言うのは、グールドの思考パターンの中には存在しないからです。
それ故に、彼が実演で協奏曲を取り上げるときには、バーンスタインやセルというビッグネームに対してもあれこれとトラブルを引き超しては喧嘩別れをしてしまいます。もっとも、そう言う「トラブル」が何処まで真実だったのかは諸説あって真相は藪の中なのですが、一つだけ確かなことは、グールドは誰か他者と力を合わせて何かを成し遂げなければいけない場面では結果として友達を失っていくタイプの人間だったと言うことです。
ですから、そう言うピアニストが「協奏曲」というジャンルに向くはずがないのです。

しかし、「協奏曲」にはもう一つ「競奏曲」というスタイルもあります。
思い出すのはセルとホロヴィッツによるチャイコフスキーの「競奏曲」あたりでしょうか。そこにあるのは、切った貼ったの喧嘩騒ぎではあるのですが、その喧嘩腰のやり取りの中で結果としてなんだか知らないけれど凄い音楽が出来上がってしまうと言うスタイルです。
グールドが何処までも自分を押し通すタイプのピアニストならばこのスタイルで押し通せば、それはそれなりに凄い演奏が出来上がったと思うのですが、残念ながらそういう喧嘩腰で世の中を渡っていくような図太さもまた、彼には無縁な世界でした。
そう言えば、ホロヴィッツにしてもアルゲリッチにしても、年を重ねるとどちらも「コンチェルト」の世界からは遠ざかっていきました。やはり、あれほどの「強い人間」でも喧嘩腰で「コンチェルト」を演奏し続けるというのはしんどくなっていくのでしょう。
そして、誰よりも傷つきやすいプライドを首からぶら下げているようなタイプの人間ならば、そんな生き方は到底不可能なのです。

そう言う意味では、グールドが1964年にコンサート活動からドロップアウトしてしまったのは、その傷つきやすいプライドを守りながら音楽活動を続けていくためには唯一の手段だったのかも知れません。
それだけに、その2年後にストコフスキーとの組み合わせでベートーベンの「皇帝」を録音していたことには驚きを感じさせられました。
おそらく、グールドにとって「コンチェルト」というのはいい思い出の少ないジャンルだったはずです。それが、ベートーベンやブラームスのような「コンチェルト」であるならば尚更です。しかしながら、「Columbia」にしてみれば「皇帝」さえ録音できればグールドによる「全集」が完成するのですから、それは何としてでも完成させたい録音だったはずです。
ですから、指揮者にストコフスキーを担ぎ出してきたのは、グールドに「皇帝」を録音させるための唯一の手段だったのかも知れません。

嘘か本当かは知りませんが、グールドにとってストコフスキーは若い頃のアイドルだったというのです。
しかしなながら、そんなストコフスキーに対してもいきなり「僕には二通りの解釈があるんだけれど、どちらで行きたい」みたいな事を言ってしまったという「噂」が伝えられているのです。いくらその才能を認めてはいても、いきなりそんな事を言われれば指揮者としては「カチン!!」とくるでしょうね。
しかし、そうやって予防線を張っておかなければ、「コンチェルト」を録音するという緊張感の中でその傷つきやすいプライドはいたたまれなかったのかも知れません。

世間では、そう言うグールドをストコフスキーは暖かくサポートしているというのですが、はてさて、どんなものなのでしょうか。
冒頭のユニークなピアノソロの出だしを聴くと、「おっ、これは面白いかな!」と思うのですが、そう言うグールドのピアノに対してストコフスキーは破綻をきたさないようにおつきあいをしているというレベルをこえるものではないように聞こえるのです。ですから、これは間違っても「競奏」にはなりようもないのですが、それでは「協奏」になっているのかと言えば、外形的にはそうなっていても音楽的にはグールドの独り相撲で終わっているように聞こえるのです。
もちろん、そのピアノはなかなかに聞き物なので、それはそれで十分だとも言えるのですが、それでも本当の意味での「協奏」にはなり得ていないように思えるのです。

穿ちすぎかもしれませんが、そっぽを向いているストコフスキーのジャケットの写真を見ていると、「あーっ、つまんねぇ仕事を引き受けたなぁ」という声が聞こえてきそうなのです。

ただし、ストコフスキーが偉いと思うのは、彼は決してグールドのピアノを妨げるようなことはしていないのです。ストコフスキーの協奏曲の伴奏というのは珍しいと思うのですが、これを聞く限りではその手の伴奏が苦手だというわけではなかったようです。
そして、これも穿ちすぎと言われるかも知れませんが、外面的にはニコニコしながらも、その内面において何処か冷ややかなストコフスキーの態度を感じとったのか、音楽が進むにつれてグールドのピアノはどんどん大人しくなっていくように聞こえるのです。

やはり、何処まで行っても、グールドという人は「コンチェルト」というジャンルには不向きだったようです。
もっとも、こういう書き方をすると、グールドファンの方からお叱りのメールをいただきそうです。(^^;