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シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 「春」作品38&マンフレッド序曲 作品115


シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1959年10月5日録音をダウンロード

  1. シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 「春」作品38 「第1楽章」
  2. シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 「春」作品38 「第2楽章」
  3. シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 「春」作品38 「第3楽章」
  4. シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 「春」作品38 「第4楽章」
  5. シューマン:マンフレッド序曲 作品115

湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたファーストシンフォニー



1838年から39年にかけてシューマンはウィーンを訪れます。
シューマンにとってウィーンとは「ベートーベンとシューベルトの楽都」でしたから、シューベルトの兄であるフェルディナントのもとを訪れるとともに、この二人の墓を詣でることは彼にとって大きな願いの一つでした。

そして、ベートーベンの墓を詣でたときに、彼はそこで一本のペンを発見したと伝えられています。そして、彼はそのペンを使ってシューベルトのハ長調シンフォニーついての紹介文を執筆し、さらにはこの第1番の交響曲を書いたと伝えられています。
もちろん、真偽のほどは定かではありませんが、おそらくは「作り話」でしょう。
しかし、作り話にしても、よくできた話です。

そして、シューマンが自分を、ベートーベンからシューベルトへと受けつがれた古典派音楽の正当な継承者として自負していたことをよく表している話です。

シューマンは、同一ジャンルの作品を短期間に集中して取り組む傾向がありました。

クララとの結婚前までは、彼の作品はピアノに限られていました。
ところが、結婚後は堰を切ったように膨大な歌曲が生み出されます。そして、このウィーン訪問のあとは管弦楽作品へと創作の幅を広げていきます。

この時期の管弦楽作品の中で最も意味のある創作物である第1番の交響曲は、わずか4日でスケッチが完成されたと伝えられいます。
まさに、何かをきっかけとして、あふれる出るように音楽が湧きだしたシューマンらしいエピソードです。

彼の日記によると、1841年の1月23日から仕事にかかって、26日にはスケッチが完成したと書かれています。そして、翌27日からはオーケストレーションを始めて、それも2月20日に完成したと記録されています。
まさに、湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたのがこのファーストシンフォニーでした。

しかし、この交響曲をじっくりと聞いてみると、明らかにベートーベンから真っ直ぐに引き継いだ作品と言うよりは、この後に続くロマン派の交響詩の嚆矢という方がふさわしい作品となっています。
おそらく、そんなことは私ごときが云々するまでもなく、シューマン自身も気づいていたことでしょう。

それ故に、この後に続く管弦楽作品では苦吟することになります。
第2番の交響曲は完成はしたものの納得のいく出来とはならずにお蔵入りとなり、晩年になって改訂を加えて第4番の交響としてようやく復活します。
ハ短調のシンフォニーはスケッチだけで破棄されています。
その他、例を挙げるのも煩雑にすぎるのでやめますが、結局はこの第1番の交響曲以外は完成を見なかったのです。

私ごときが恐れ多い言葉で恐縮ですが(^^;、この事実は複雑な管弦楽作品をしっかりとした構成のもとで完成させるには、未だ己の技法が未熟なことを知らしめることになったようです。
そして、その様な未熟さを克服すべく創作の中心を室内楽へと転換させていくことになります。

シューマンの交響曲はとかく問題が多いと言われます。

彼の資質は明らかに古典派のものではありませんでした。交響曲だけに限ってみれば、ベートーベンの系譜を真っ直ぐに引き継いだのは彼の弟子であるブラームスでした。
それ故に、そう言うラインで彼の交響曲を眺めてみれば問題が多いのは事実です。

しかし、彼こそは生粋のロマンティストであり、ベートーベンとは異なる道を歩き出した音楽としてみれば実に魅力的です。

楽器を重ねすぎて明晰さに欠けると批判される彼のオーケストレーションも、そのくぐもった響きなくしてシューマンならではの憂愁の世界を表現することは不可能だとも言えます。
あのメランコリックは本当にココロに染みいります。

たとえば、第2楽章のやさしくも深い情緒に満ちた音楽は、古典派の音楽が表現しなかったものです。
もちろん、演奏するオケも指揮者も大変でしょう。
みんなが気持ちよく演奏できるブラームスの交響曲とは大違いです。

しかし、その大変さの向こうに、シューマンならではの世界が展開するのですから、原典尊重でみんなで汗をかく時代になって彼の交響曲が再評価されるようになったのは実に納得のいく話です。

なお、どうでもいい話ですが、シューマンはベッドガーという人の詩から霊感を得てこの交響曲を作曲したと述べています。ですから、各楽章のはじめに「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」と記しています。
この交響曲には「春「と言うタイトルがつけられていますが、それは後世の人が勝手につけたものではなくて、シューマンのお墨付きだと言えます。

マンフレッド序曲 作品115



バイロンの詩劇「マンフレッド」に触発されて作曲されたもので、序曲と15の場面かな成り立っています。しかし、序曲だけは非常に有名であるのに対して、それに続く15の音楽が演奏されることはほとんどありません。
やはり、オペラでもなければオラトリオでもない、「詩劇」というスタイルが今の時代にはマッチしないのでしょうか。

また、バイロンの「マンフレッド」も、今ではどの程度のポピュラリティがあるのかも疑問です。少なくとも、日本でこの題名を聞いてシューマンの序曲を思い出す人はいても、バイロンの作品を思い出せる人は少数でしょう。
流浪の旅を続けるマンフレッドが、かつて捨て去った女性(アスタルテ)の霊と地下の国で会い、その許しを得ることで救われるという話です。

そして、このバイロンの作品全体を総括するような音楽がこの序曲なのですが、それはストーリーを標題音楽的にまとめるのではなくて、物語の中でシューマンが感じとったマンフレッドの姿を純粋器楽の形式で表現したものになっています。

オケが完璧に鳴りきっているがゆえに他の指揮者では聞けない「熱さ」に満ちあふれている

第1楽章の導入部はミンシュにしてはゆったりとした感じで入ってくるのですが、主部に入るやいなや、まってましたとばかりの快速テンポで駆けだしていきます。
しかし、その後はどちらかと言えば真っ当なテンポと造形で、続く第2楽章のラルゲットもしみじみと入念に歌い上げています。

そして、その流れは続く楽章にも引き継がれ、全体としては非常に真っ当なシューマンに仕上がっています。
考えてみれば、第1楽章冒頭の導入部は「Andante un poco maestoso」で、それに続く主部は「Allegro molto vivace」です。

少しばかり荘重な足取りでゆったりと歩んできたものが、一気にかけ出せと指示しているのですから、このミュンシュのやり方が真っ当だと言うことになります。しかし、ここまで見事にギアを入れ替えて風景を一変させる演奏も珍しいのではないでしょうか。

しかしながら、このミュンシュの処理が作曲家の指示に従った真っ当なものだとすると、音楽全体も全てが真っ当な仕上げになっていると言うことになります。スコアを見ながらキッチリと確認したわけではないですが、奇異なことは一切していないように思います。
ただし、シューマンらしい少しばかりくすんだ響きでありながら、オケは完璧に鳴りきっています。
その完璧に鳴りきっているがゆえに、音楽には他の指揮者では聞けない「熱さ」に満ちあふれることになります。そして、そう言うミュンシュの指揮に余裕でついて行くボストン響の上手さにはあらためて感心させられます。

シューマンの交響曲というのはオケにとっては難物らしいですが、そう言う危うさは微塵も感じさせません。

随分昔の話になるのですが、知人が所属していた市民オケが何を間違ったのか定期公演でこの作品を取り上げた事があったそうです。その演奏会は、そのオケの黙示録に長く刻み込まれる「地獄絵図」となったそうです。
それ以後、そのオケではシューマンの交響曲は永遠に封印されることになったとか・・・。。

まあ、較べるのが間違いなのですが・・・。