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ショパン:マズルカ Op.6


(P)サンソン・フランソワ 1956年2月3日,16日~17日&3月5日~6日,20日~22日録音をダウンロード

  1. 作品6の1:マズルカ 第1番 嬰ヘ短調
  2. 作品6の2:マズルカ 第2番 嬰ハ短調
  3. 作品6の3:マズルカ 第3番 ホ長調
  4. 作品6の4:マズルカ 第4番 変ホ短調

ポーランドの代表的な民族舞曲




  1. 作品6の1:マズルカ 第1番 嬰ヘ短調

  2. 作品6の2:マズルカ 第2番 嬰ハ短調

  3. 作品6の3:マズルカ 第3番 ホ長調

  4. 作品6の4:マズルカ 第4番 変ホ短調



マズルカはポロネーズとならんで、ショパンが終生愛し続けたポーランドの民族舞曲です。ただし、ポロネーズが一般的に規模が大きくて劇的な性格を備えているのに対して、マズルカの方は規模がとても小さくて、そのほとんどが簡素な三部形式をとっています。

また、よく知られていることですが、マズルカと言ってもその性格や特徴は地域によって大きな差異があり、専門家の受け売りですが、基本的には「マズレック」「クヤヴィアック」「「オベレック」と呼ばれる3種類があるそうです。
そして、ショパンはそれらの形式を自由に取り入れて、例えば、マズレック風のリズムにクヤヴィアック風のメロディを重ねるなどして、自分なりに再構築をすることによって彼独特のマズルカという形式を作り上げていきました。

その意味では、ショパンのマズルカはポーランドの民族舞曲を母胎としながらも、時間を追うにつれてより一般的な性格を持っていったと言えます。
言葉をかえれば、土の香りを失う変わりにより洗練されていったと言うことです。
その分岐点はおそらくは中期の傑作と言われる作品番号で言えば33番の4曲あたりにあることに異存を唱える人は少ないでしょう。マズルカが本来持っていた粗野で鄙びた風情は姿を消して、明るさと軽さが前面にでてきます。ですから、よく「マズルカには華やかな技巧の世界は無い。」と言われますが、晩年のマズルカは和声的にも構成的にもかなりの工夫が凝らされています。
もちろん、どちらをとるにしてもショパンの音楽が素晴らしいことは言うまでもありません。

感情のおもむくままに

随分前に、フランソワを取り上げたときに次のように書きました。

『漸くにして時代はフランソワに追いついたのかもしれません。彼は決して「19世紀型ピアニストの最後の生き残り」などではなく、この行き詰まった即物主義の時代の先を歩いていたのです。』

やはりこの言葉は言い過ぎだったようです。褒めすぎでした。
フランソワというピアニストの本質は「19世紀型ピアニストの最後の生き残り」と見るのが正解なのでしょう。

何故かと言えば、彼の録音を集中して聞いてみると、嫌でも気づかされることがあるのです。それは、彼のすぐ後の時代に登場してきたさらに若い世代のピアニスト達と較べてみると、そのテクニックという点において根本的な違いがあることを認めざるを得ないからです。
それはポリーニやアシュケナージという人たちと比べてみると、巧拙というレベルの問題ではなくて、そう言うメカニカルな部分に対する捉え方の根本が異なっているように聞こえるのです。

聞けば分かるようにフランソワは同時代のピアニスト達と較べてみても決して下手なピアニストではありません。しかし、そのテクニックは何があっても微塵も揺らぐことがない強固な基盤の上には成り立っていません。
作品と向き合って感情が揺らいだり、爆発したりすれば、そのテクニックはその感情にあおられて揺らいでしまいます。しかし、その揺らぎはぎりぎりのところで踏みとどまることで作品の形をゆがめてしまう一歩手前のところでは踏みとどまるのですが、おそらくこういうスタイルで演奏を繰り返していれば、実際のコンサートでは出来不出来の差が大きくなるのもやむを得なかったでしょう。

ポリーニは1942年生まれです。彼が5歳で本格的にピアノの学習に取り組んだときには戦争は終わっていました。それに対して、1924年生まれのフランソワは、ピアノの基礎を学ぶべき若き時代のほぼ全てを戦争の中で過ごさざるを得なかったのです。
強固な規律、巌のような我慢強さというものは大人になってから後天的に身につけるのは不可能です。それはピアノのテクニックにおいても同様で、ポリーニやアシュケナージのようなピアニストは、戦争の動乱の中で子供時代を過ごした人間からは生まれないのではないでしょうか。

ただし、フランソワには、ショパンの感情と同化できる天才的な閃きがありました。そして、その閃きだけは誰にも真似のできない天才性でした。
ですから、まるで感情のおもむくままに好き勝手に弾いているようでありながら、それでもテクニック的には破綻をきたすことのないマズルカのような作品では、フランソワは素晴らしい適応を示します。そして、その魅力はポリーニやアシュケナージのようなタイプのピアニストからでは絶対に聞くことのできない音楽です。

もちろん、だからといって、どちらが優れているか、みたいなつまらぬ話にはなりません。ただ、疑いがないのは、時代はフランソワを置き去りにしてポリーニに代表される新しいピにスト達の時代へと移り変わっていったことです。そして、その時の流れの中でフランソワは酒と煙草に溺れて46歳で急逝したという事実だけが残ったのです。