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ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73「皇帝」


スクロヴァチェフスキー指揮 (P)ジーナ・バッカウアー ロンドン交響楽団 1962年7月録音をダウンロード

  1. ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73「皇帝」「第1楽章」
  2. ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73「皇帝」「第2楽章」
  3. ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73「皇帝」「第3楽章」

演奏者の即興によるカデンツァは不必要



ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。

それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;

いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。

しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。

ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。

自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。

しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。

そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。

ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。

野太い!ごっつい!!荒っぽい!!!

ジーナ・バッカウアー。
この名を冠したコンクールによって、ピアノ学習者にとってはそれなりに名の知れたピアニストのようです。
ちなみに、このジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクールはそれほど名のあるピアニストは輩出していないのですが、18歳以下を対象としたヤングアーティスト部門では1999年にユンディ・リが優勝しています。彼は、この翌年のショパンコンクールでアジア人としては初めての優勝を成し遂げたことは今さら言うまでもないことです。

しかし、「聴き専」にとってはほとんど忘れ去られた存在となっています。かろうじて、「マーキュリー・リヴィング・プレゼンス」シリーズがリリースされたことでかろうじて記憶の端に引っ掛かっているというレベルです。ただし、タワーレコードの宣伝文句に「イギリスの名女流ピアニストのジーナ・バッカウアー(ブラームスの協奏曲第2番など)」と書かれていたのはご愛敬です。

長いキャリアですから、イギリスで演奏会を開いたことはあるでしょうが、彼女はギリシャの出身であり、たとえ父親がオーストリア人であっても自分はギリシャ人だというのが彼女のアイデンティティでした。そして、活動の中心がアメリカに移っても、彼女はアメリカ人にはなりませんでしたし、当然の事ながらイギリス人にもなりませんでした。
ちなみに、彼女の経歴についてはこちらのページが一番詳しいようです。
現役時代には「鍵盤の女王」ともたたえられたピアニストも、死後40年も経過するとその出自さえ間違われてしまうことに、時の流れの儚さを感じさせてくれます。

さて、その様な彼女のピアノなのですが、ファーストインプレッションとしては以下の2点に尽きます。

  1. 野太い、ごっつい!!

  2. 荒っぽい!!


つまりは、女性のピアニストにイメージされるものとは全く縁がないと言うことです。そして、その荒っぽさはマーキュリーのハイクオリティの録音によって克明にとらえられていますので、彼女の大柄で力強いピアノを感心しながらも、どうしてあっちでもこっちでも、こんなに響きが混濁するの?という思いを最後まで持ち続けることになってしまいます。
確かに、このように記録されたレコードだけで演奏家を評価するのは大きな間違いを引き起こします。その事には留意しながら聴き進めたとしても、それでも、例えばショパンの二つの協奏曲などを聴かされると、響きだけでなく音楽のとらえ方そのものまでもが、あまりにも大雑把すぎるだろうと思わずにはおれません。

確かに、こういう大雑把さは実演ではレコードほどには気にならないことは事実です。構えの大きさや、前につき進んでいく勢いみたいなものに揺さぶられてしまえば細部はあまり気になりません。それどころか、あまりにも細部を精緻に仕上げることに専念している演奏にであうと、時には「何を辛気くさいことやっている」などという恐れ多いことをほざいてしまう誤りを犯すことすらあります。

しかし、何度も繰り返し聞かれることを前提としたレコードでは、その様な大雑把さと荒っぽさはマイナス以外の何ものでもありません。そして、不思議に思うのは、どうして上手くいっていない部分の録り直しをしなかったのかということです。
しかし、これもまた彼女の気性によるところが大きかったのかもしれません。

レコード産業が爆発的に発展していくこの時代に、繰り返し聞かれることを前提とした録音では通常のコンサートとは異なるアプローチが必要なことを自覚する演奏家が次々と現れてきます。その最たる存在がカラヤンでした。
しかし、このバッカウアー女史は、そう言う新しい動きには無頓着であり、基本的には「劇場の人」だったんだろうと思います。演奏全体の勢いを殺いでまで細部に拘る理由が彼女には理解できなかったのかもしれません。

そして、彼女が駆け出しのピアニストであれば録音プロデューサーも駄目出しできたでしょうが、相手が時の「鍵盤の女王」であれば、「何も言えない」と言うことになったのでしょう。

ただし、これを実演で聞けばかなりの迫力があったことは事実です。
残念なのは、彼女の名刺代わりでもあったブラームスのコンチェルトが意外と大人しいことです。しかし、その代わりといっては何ですが、ミスターSこと、スクロヴァチェフスキーのサポートが素晴らしいです。一部では響きが薄すぎると文句を言う向きもあるのですが、それなりのシステムで再生すれば、その響きの美しさには感嘆させられます。薄いのではなくて、精緻なのです。
彼がサポートしているベートーベンの5番でも同じ事が言えます。あの美しい第2楽章が本当に美しく響きます。