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ジャクリーヌ・デュ・プレ:チェロ小品集


(Vc)ジャクリーヌ・デュ・プレ (P)ジェラルド・ムーア(他) 1962年7月録音をダウンロード

  1. ブルッフ:コル・ニドライ
  2. バッハ:ソナタニ長調 BWV1028 アダージョーアレグロ
  3. バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564よりアダージョ
  4. ファリャ:スペイン民謡組曲よりホタ
  5. サン・サーンス:白鳥

デュ・プレ:チェロ小品集 収録作品




ブルッフ:コル・ニドライ
(Vc)デュ・プレ:(P)ジェラルド・ムーア 1962年7月15日録音

バッハ:ソナタニ長調 BWV1028 アダージョーアレグロ
(Vc)デュ・プレ:(harpsichord)ロナルド・キンロック・アンダーソン 1962年7月15日録音

バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564よりアダージョ
(Vc)デュ・プレ:(Org)ロイ・ジェッソン 1962年7月15日録音

ファリャ:スペイン民謡組曲よりホタ
(Vc)デュ・プレ:(Gui)ジョン・ウィリアムズ 1962年7月21日録音

サン・サーンス:白鳥
(Vc)デュ・プレ:(Harp)オシアン・エリス 1962年7月21日録音

深い愛を持って

一年の始まりにどの作品をアップするのかは結構頭を悩まします。
まず、どうしても外せない条件は、新しい年を迎えてパブリックドメインの仲間入りをした録音であること、さらに、「おーっ、ついにこの録音もパブリックドメインになったのか!!」と思えるような、それなりにインパクトがあれば申し分ありません。
そう思って、新しくパブリックドメインに仲間入りした音源を眺め回して、その中から一つを選ぶのは嬉しくも難しいチョイスでした。普通ならば「嬉しい悲鳴」という感じで頭を悩ますところです。

しかし、今年はあっさりとデュ・プレの録音に決めていました。
理由はいたってシンプル、2014年のニューイヤー・コンサートの指揮者がバレンボイムだったからです。この男が2度目のニューイヤー・コンサートに登場した年にデュ・プレの録音がはじめてパブリックドメインに加わるというのも一つの因縁だと思いましたね。
言ってみれば、私なりの精一杯の「痛がらせ」です。(^^;

私は、基本的には、芸術と人間性は別物だと思っています。とりわけ、作曲家などと言うものは、ある人にいわせれば「人格破綻者の群れ」ですから、その人間性を云々し始めれば「聞ける音楽」などはほとんどなくなってしまいます。
しかし、そうは思いながらも、それでも「どうしても許せない!!」奴はいます。
私にとって、そのどうしても許せない男の最右翼がバレンボイムでした。
そして、彼が「イスラエルの良心的文化人」などと持て囃されればされるほど、「己の過去を振り返れ!」と言う思いが膨れあがるばかりでした。

バレンボイムというのは確かに優れたピアニストでした(指揮者じゃないですよ^^v)。
しかし、その才能は決して希有なものではありません。言葉をかえれば、取って代われれる存在、もしくはそれを上まわる存在はいくらでも数え上げることができました。(ポリーニ、グルダetc.)
しかし、デュ・プレは100年に一人の才能でした、疑いもなく。
それは、例えてみれば、与謝野晶子と鉄幹の関係と似ています。

そして、この小品集でデュ・プレをサポートしたおじさんたちも同じ思いを持っていたのでしょう。この録音からは、このかけがえのない才能を大事にしようというおじさんたちの深い愛が隅々から感じ取ることができます。そして、そう言う安心感のゆえか、デュ・プレもまた気迫を前面に出すいつもの演奏スタイルとは違って、ゆったりとした表情で音楽に取り組んでいます。

そんなかけがえのない才能が、こんな下らん男によってスポイルされたかと思えば、無念という言葉では言い尽くせない思いがわき上がってきます。
私は今でも、彼女の病は、この下らぬ男が己のキャリアを積み上げるために彼女を連れまわしたことによる疲労の蓄積にあると確信しています。そして、デュ・プレが病に倒れた後のこの男の仕打ちは、「人でなし」という言葉以外には表現のしようがありません。
彼女は闘病のために愛器の「ダヴィドフ」を売り払い、さらに不自由な身体でチェロのレッスンを行うことでお金の工面をしたと伝えられています。驚くべきは、彼女がそのような苦境に陥っているにもかかわらず、この男は妻であるデュ・プレを見捨てて浮気を繰り返し、果ては同棲中の愛人に二人も子どもをはらませたのです。
こんな男が「イスラエルの良心的文化人」などと言われたら、迷惑するのはイスラエル自身でしょう。

ちなみに、ニューイヤー・コンサートはいつも楽しみにしているのですが、今年は一切見ませんでした。代わりに、デュ・プレの録音をあれこれ聞いてすごしました。
(最近は角が取れて読んでいて心地よくなったと褒めていただく事も多くなったのですが、今回はちょこっと棘を出してみました。)