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ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ(英雄)」 op.55


シューリヒト指揮 パリ音楽院管弦楽団 1957年12月18,20,23日録音をダウンロード


音楽史における最大の奇跡



今日のコンサートプログラムにおいて「交響曲」というジャンルはそのもっとも重要なポジションを占めています。しかし、この音楽形式が誕生のはじめからそのような地位を占めていたわけではありません。
 浅学にして、その歴史を詳細につづる力はありませんが、ハイドンがその様式を確立し、モーツァルトがそれを受け継ぎ、ベートーベンが完成させたといって大きな間違いはないでしょう。

 特に重要なのが、この「エロイカ」と呼ばれるベートーベンの第3交響曲です。
 ハイリゲンシュタットの遺書とセットになって語られることが多い作品です。人生における危機的状況をくぐり抜けた一人の男が、そこで味わった人生の重みをすべて投げ込んだ音楽となっています。

 ハイドンからモーツァルト、そしてベートーベンの1,2番の交響曲を概観してみると、そこには着実な連続性をみることができます。たとえば、ベートーベンの第1交響曲を聞けば、それは疑いもなくモーツァルトのジュピターの後継者であることを誰もが納得できます。
 そして第2交響曲は1番をさらに発展させた立派な交響曲であることに異論はないでしょう。

 ところが、このエロイカが第2交響曲を継承させ発展させたものかと問われれば躊躇せざるを得ません。それほどまでに、この二つの間には大きな溝が横たわっています。

 エロイカにおいては、形式や様式というものは二次的な意味しか与えられていません。優先されているのは、そこで表現されるべき「人間的真実」であり、その目的のためにはいかなる表現方法も辞さないという確固たる姿勢が貫かれています。
 たとえば、第2楽章の中間部で鳴り響くトランペットの音は、当時の聴衆には何かの間違いとしか思えなかったようです。第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。

 それほどまでに、この作品は時代の常識を突き抜けていました。
 しかし、この飛躍によってこそ、交響曲がクラシック音楽における最も重要な音楽形式の一つとなりました。いや、それどことろか、クラシック音楽という芸術そのものを新しい時代へと飛躍させました。
 事物というものは着実な積み重ねと前進だけで壁を突破するのではなく、時にこのような劇的な飛躍によって新しい局面が切り開かれるものだという事を改めて確認させてくれます。

 その事を思えば、エロイカこそが交響曲というジャンルにおける最高の作品であり、それどころか、クラシック音楽という芸術分野における最高の作品であることをユング君は確信しています。それも、「One of the Best」ではなく、「The Best」であると確信しているユング君です。

ステンドグラスのようなベートーヴェン

Google先生にこのシューリヒトのベートーベンの評判を聞いてみると、意外なほどに好意的なので驚きました。
「演奏のきびきびとした活きの良さ、音と音の絡み合いの妙、とにかく聴いていて音楽の素晴らしさに感動した。」とか、「透明感のある響き、まるでステンドグラスのようなベートーヴェンだと思います。」等々、なかなかに好意的です。

ただ、問題は「録音」です。
正直言ってこれは「犯罪的」と言っていいでしょう。
EMIがステレオ録音に懐疑的だったのは分かりますので、50年代後半であるにもかかわらずモノラルで録音されたことは目を瞑りましょう。実際、当時のモノラル録音は技術的には完成の域に達していて、「モノラル録音=音質が悪い」という公式は成り立ちません。それどころか、実験段階にあった当時のステレオ録音と比較すると、完成の域に達したモノラル録音の方が音質的には好ましく思えるものも少なくなかったのです。
たとえば、55〜56年にモノラルで録音されたカラヤン&フィルハーモニアの演奏などは、下手なステレオ録音などは足元にも及ばないような見事さです。
しかし、このシューリヒトの録音に関しては、何かの間違いではないかと思えるほどに録音のクオリティが低いのです。それは、「モノラルで録音されたから音が悪い」のではなくて、「完成の域に達していたモノラルで録音したにもかかわらずこの体たらく」であることに「犯罪」のにおいを感じるのです。

おそらく、EMIはやる気がなかったのでしょう。そうでなければ、こんなひどい録音でリリースされることなど考えられません。
「隣の部屋でならしてる音楽を壁に耳あてて聴くような音質」とまでは酷評しませんが、この時期のモノラル録音の完成度を知るものならば、大いに「怒り」を感じるクオリティであることは事実です。

しかし、そんな録音のマイナスは割り引いても、演奏の面白さは一級品です。
これは、フルトヴェングラーやクナのベートーベン演奏からは対極にある演奏であることはすぐに分かりますが、かといってトスカニーニやセルのベートーベンと同族かと言われるとそれも少し違います。
そこで気づいたのが、もしかしたらこれと一番対極にあるのは晩年のカラヤンかもしれないということです。そう、あの「カラヤン美学」から最も遠い位置にある演奏がこのシューリヒトではないかと思い至ったのです。

カラヤンの特長はめいっぱいに「音価」を長くとって、それを徹底的に磨き抜くことです。たとえば、晩年に録音したシベ2の第4楽章などは、別の音楽に聞こえるほどに音価を長くとって、まるでハリウッドの映画音楽みたいになっています。
それに対して、ここでのシューリヒトは限界までに音価を短く切り詰めています。たとえば、エロイカの冒頭などは切り詰めを通り越して切り上げてるようにすら聞こえます。結果として、聞こえてくる音楽はとても「軽く」なります。当然のことながら、人の官能に訴えかける魅力は非常に乏しくなります。
しかし、そう言う俗耳に入りやすい「分かりやすさ」を犠牲にしてシューリヒトが獲得しようとしたのは明晰でクリアなベートーベン像だったことは明らかです。ただし、そのベートーベンはトスカニーニやセルのような甲冑を身にまとったベートーベンではなくて、「透明感のある響き、まるでステンドグラスのようなベートーヴェン(・・・うーん、実に上手いこというものです!!」です。

ただし、それを理解しながらも、今回アップした「エロイカ」「田園」「合唱付き」の中では、さすがに「エロイカ」は軽すぎるだろう・・・とは思いました。「田園」「合唱付き」は文句なしに素晴らしいと思います。また、特に第九は「犯罪的」とも言える録音の中では一番被害が少ないように思いますし、これだけがステレオで録音された音源が存在するようで、別のレーベルからそのステレオ録音によるCDも発売されているようです。(今回アップしたのは残念ながらモノラル盤です)